ごあいさつ
白石達也(現教会長)
2016年(平成28年)5月3日 天下茶屋教会・天地金乃神大祭の教話より
神様の喜ぶ信心をさせてください。
心の喜ぶ信心をさせてください。
人の喜ぶことをさせてください。
物の喜ぶことをさせてください。
体の喜ぶことをさせてください。
と、日々、祈りを込めていたようです。
「喜ぶ」という通じるものもあるかと思われます。
父の師匠は、すべての人の中に内在する神様がおられるのだから、人を責めてはいけない。人を神様として拝みなさいと教えられたとのことです。
父が人を大切にしてきた生き方に習って、私もまずは、身近な人を大切にしていく実践につとめております。
まだ子どもが小さい頃、急に大勢の人たちの前で泣くことがありました。
どんなにしても泣きやまないし、泣いている原因も分からない。
もうお手上げでした。
父は、子どもを神の氏子と思わず、我が子扱いしてしまうと、そうなっていくのではないか。
原因が分からなくて子どもが泣き出しても、金光様なぜ泣いているのか気付かせてください。どうか楽になりますようにと願い、祈っていると残しております。
周りでよその子どもが泣こうがわめこうが気になりませんが、もう一歩進んで、祈るという稽古も続けさせていただいています。
義理の母は「何事も、『あってある』という生き方が大切だと。話をするのでも、聞いてくれる人があって、話をさせてもらえる自分がある。何事も、『あってある』という生き方、考え方が大切だ」と教えてくださいました。
28年前に父が他界し、一番下の弟はまだ小学2年生の時でありました。
子育て中に、子どものことで悩みがあっても、一番近くで相談出来る人がいなかったことが、一番つらかった。
しかし、子どもたちがいてくれたから、なんとかここまでがんばってこれたということを話してくれたことがあります。
まさに子どもあっての自分である「あってある」のだと教えてくれました。
命を頂いて、元気に過ごさせていただいている。
妻や子どもと何気ない会話を楽しみ、笑ってる日常生活。
こうして天下茶屋教会広前という場所があり、みなさまがあり、私があり、話をさせていただくことができ、聴いていただくことができる。
何事もすべてのことが、決して当たり前ではないんだと思うのです。
多くの人や物にお世話になって支えられている私でありますし、そのように様々なことを教えてくれる父母であります。
